2018年2月18日 人間にとって一番大切なもの それは自分の心に燃え上がる情熱です。

#198

情熱は心の中で新しいことに気づいたときに大きく沸き上がってくるのです。今がその時です。それが私に火をつけたのです。


緊急課題
気づきの思考①   気づきとは何か
気づきの法則②   なぜ気づきが起こるのか
気づきの思考③ 今までにない気づきを起こすとき
気づきの思考④ 自らの気づき
気づきの思考⑤ 人からの気づき
気づきの思考⑥ 人の気づきを自分の気づきにする
気づきの思考⑦ 自分の気づきを他人のものにする

私の今日の気づきは、いつの間にか75歳になろうとし、53年間も現役のビジネスマンをしてきたことです。それは日本の経済発展に伴って常に挑戦してきたからでしょう。そして今もまた新しい未来に向かってひたすら頑張って挑戦しています。

一つはこの人工知能の時代、新しい時代にどのように挑戦していこうかということです。これは未来に対しての気づきかもしれません。その目的はまだ明確ではありません。
これまでの楽しかったこと、苦しかったこと等の過去の思い出を断ち切って新しい時代に勇気をもって、これまでとは異なった新しい目的を見つけることが必要です。
昨年覚えた“人生の心の木を育てよう”といいう言葉が私の頭の中に住み着いています。

人は私のことをポジティブ思考だといいます。私が新しいことへ挑戦するときには、周囲の人たちから「そんなことはできっこない」と言われても、常に新しい気づきに集中して必ずやり遂げるという覚悟ができているからでしょう。

今、私の傍らに3年になる「エバーフレッシュ」(観葉植物)があります。外は昨日降った大雪で真っ白ですが、家の中で育てているので真っ青です。高さ1.5mで横に枝を這わせ、まさにEver Freshです。サミュエル・ウルマンの青春Youthをそばに置いて仕事をしています。リフレッシュメントです。

なぜ気づきが起こるのか。これは頭の中に今までにない何か新しいことが目覚めたのです。

今迄の延長ではない未来に向けての答えのない目的を探しているのかもしれません。気づきというか最近はますます脳のひらめきがシャワーのように降ってきています。
ロシアのヤクーツクという酷寒の町のコーチングを生業としている人たちと話していて2月にエグゼクティブコーチングの研修に行くことを約束しました。先週はマイナス60度だったそうです。なんでそんなところに行く気になったのか。これも不思議なことで昨年の夏にヤクーツクに行った時には真冬のシベリアのこの酷寒の地に誰が好んで来るものかと思っていました。50年前にグリーンランドから軍用機で北極の米軍基地チューレTHULEに行ったときのことを思い出しました。これも突如行くことになり日本人では初めてでした。デンマークからサンドレストロームという人口が100人に満たないエスキモーの町に行き、そこからアメリカ軍のC121で針路を真北にとって氷原の上を飛ぶのです。真夏で日没がなく24時間明るいのです。基地の内部はすべてが暖房されていましたが、外は真っ白の氷の世界です。橇で移動している時代でした。まだビデオはなく、ゼンザ・ブロニカ6x6というカメラを持っていきました。飛行機もロシアの上を飛ぶことができずアラスカからデンマークに行く飛行機はほとんど北極の上を通っていた時代です。

今回行くのはロシア側です。ヤクーツクはシベリアのレナ川の流域の永久凍土の上にあります。レナ川はバイカル湖の西の山にその源があり北極海まで全長4500kmの世界第3位の長さで、川幅も20kmのところもある大河です。ヤクーツクには東京からの直行便がないのでウラジオストック経由でそこからローカル便で行くのです。冬はナホトカ経由になるので本来ならば東京から4時間で行けるのですが、10時間かかります。ヤクーツクは南アに次ぐダイヤモンドの産地です。

今回急に冬に行きたくなったのです。これも何か気づきが天から与えられたのですね。レナ川は今、氷の厚さが1m以上になるほどに凍って自動車道路になっているとか。

今までにない気づきを自分から求めたことがありますか。私の場合はそれは、あと30年は現役で活躍しようと思ったときです。そのとき私は105歳です。誰にも迷惑をかけず、健康で、可愛く生き、そして人のためになることは何だろうと思ったときです。50年前だったら一笑に付されていたでしょうけれど、人工知能が発達し、再生医療が可能になりつつある今の時代です。もしかしたら105歳といっても今よりも若返っているかもしれないと思ったのです。
人にできない何かをやろうと気づいたのかもしれません。昨年2017年10月に視神経の静脈に血栓ができ目が見えにくくなりました。ところが注射とレーザー治療で今年の1月には視力が0.3まで回復したのです。両目で普通に運転が出来るようになったのです。そのときに何でもできることはやろう、と気づいたのです。果てしなく続く未来への小さな挑戦です。

なぜそのようなことをやる気になったのかというと、そこにチャンスがあるからです。登山家ではありませんが、目の前にあるチャンスをつかむというのはその気づきがなければできません。そこには何かがきっとあるからでしょう。

人は覚悟を決めれば何でもできます。これは気の持ちようです。経営者に多い、誰もやったことがない、困難なことに正面から向かっていく気構えで覚悟して苦しみながら挑戦することが喜びになるときだと思っています。苦しんだ分と同じ、いやそれ以上の喜びや楽しみが後になって帰ってくると思っているので、その苦しみを感じることが未来の決断の楽しみになるのです。

私の場合はこのように自分から進んで起こす気づきがほとんどですが、たまに人に言われたり、人の話を聞いたりしているときにふっと何かが頭の中をよぎるときがあります。自分自身で肌で感じる気づきと、人から与えられる気付きの両方があると私は考えています。
皆さんによくある感動の瞬間かもしれません。他の人が何かにとりつかれたように夢中になっているのを見たときや話を聞いたりしたときに、「よし、俺も」と思ったときです。別に押しつけられたわけでも、言われたわけでもなく、ただ耳に入った言葉等が自分の心の木に感じた時、俺もやってみよう、と自分にすぐさま跳ね返った気づきです。外からの気づき(Extrinsic)ですね。

経営者は多くの気づきがあります、どうしてでしょうか。
あなたは感動する気づきを一日にどのくらい感じますか。

杉井要一郎 / 2018年2月18日号 © 2014-2018 Gledis Inc.

コメント