3月4週号 常識・非常識の意味が判らなくなってきた(Common Sense)…… リーダーがいろいろな判断をするにあたって、その判断(問題解決)のために大量かつ複雑な情報を上手に整理できる人とそれができない人との差が大きくなっていると感じませんか?
#110 common sense |
これまでは物事を決めるのは一人のリーダーでしたが、最近ではその物事自体が複雑になり、様々な判断基準を持つ決定権者が増え、その様々なステークホルダー(利害関係者)の判断を仰がなくてはならなくなっています。
多数決ですか、それとも最終的に一人で決められているのですか。
取締役会ではすべての決定がきちんとルールに則って行われていますか。
大手の場合はステーキホルダーは4人以上だそうです。
小さなことが規則に則して述べられていますか。
今日決まったことが明日には何もなかったことになっていませんか。
常識/非常識の話になると倫理もその一つです。
- これらはルールの違いもあります。
- 道徳の違いもあります。
- 常識の違いもあります。
- 習慣の違いもあります。
決まったことを守らない、簡単に決めたふりをする、後になって平気で決まったことを変更する会社等、会社の文化の違いもあります。
次に時間の変化もあります。
常識と情報量の違い、時間軸によっても選択と決断をしているのです。
ある人の常識が他の人の常識と違う現象が起きてきたのです。
それが情報の質と量なのです。
このような時にあなたはリーダーとしてどのような決断をしますか。
またはどのような選択をさせようとしますか。
- 正常な思考
- 思考と行動が一致せず正常でない状態
- 常識の違いと一致(情報とは)
- 情報の一致/情報の食い違い
頭で理解していても実際に行動するときに理解度の違いあったときの状態とは、
常識……
- 世の中の常識
- 文化としての常識
- 人としての常識
- 世間の常識
- マナー
- エチケット
- リーダーとしての常識
- 上司の常識/部下の常識
- 父親の常識/母親の常識
- プロの常識/アマチュアの常識
文化の違いには、あいさつや食事の作法(常識)があります。
- 宗教によっても違いがあります。
- ビジネスにおいても様々な常識が出てきます。
- 時間の観念の違いもあります。
- 価値観の違いもあります。
何がまともで、どこにその判断基準があるのかわかっていますか。
違いがわかればそれでまずは成功です。
違うところをどこにするか、選択すればよいのです。
いくら働いても賃金は増えず、モノ余りになる世の中に矛盾があるとしたらそれは何でしょう。
モノ余りになると、物質的なものから精神的な価値観、マインドに思考が移ってくのはどのような発達段階といえるのでしょうか。
これらがすべてわかっている人は器が大きな人です。
これらの違いをものともしない人です。
これらの違いがわからない人にとっては大きな問題になります。
- 大きな問題とは、頭にカッと血が上る、
- 血圧が上る、
- 相手に怒りをぶつける、
- 我慢ができずに当たり散らす人もいます。
これらは器の小さい人の言動です。
メンタルタフネスがない人に多く見られます。
すべてきちんとしていないと気が済まない性格の人に多いようです。
すべてきちんとすることは些細なことの積み上げです。
それらは戦術的、感情的なことです。
世界各国で文化、政治、経済の違いはあるにせよ最も大切な価値観として安全Securityがあります。それも心(気持ち)の安全であって、今現実としてすべての人が危機に陥っており安全ではないとは考えられません。
世界が安定しており誰もがお互いを信頼できるような文化、環境にしたうえで、常識とは何かを語れるようにするにはどのようにしたらよいでしょうか。
自分に直接関係ない状況を見ているだけでかっと頭に血が上ったりします。
ではそのようにならないためには、どのくらいの幅・範囲があればよいのでしょう。
その幅・範囲とは何を目的とした範囲になるのでしょうか。
正当性の幅・範囲というのがあるのでしょうか。
もしあるとしたらどの位が許容範囲になるのでしょう。
それはそのことの重要性によるかもしれません。時間軸も重要事項の一つです。
生死にかかわるかどうかも重要事項の一つです。
思考の中心をどこにもっていけばよいのか。物質的なものからメンタル・魂Spiritualまでの間でどのあたりが最も正常な思考を両方に向けバランスをとることができるのでしょうか。
これは論理性を重視するのか。感情も含むのか。倫理感も入れるのでしょうか。
政府もモノに価値観を持たせる傾向があります。それは目に見える結果、誰が見ても成果がわかるようでなければならないからです。左脳的な実物現象的な内容を共有させたいからです。
もしそうだとしたら多数決が優先されます。政府がそのような考えではとてもではありませんが世界を相手に太刀打ちすることはできません。
政府に関していえば、これはより良い関係の構築/維持を前提にして国家間の文化の違いと戦わなければなりませんし、同時にすべての人間にある共通の倫理観と戦わなければならないのです。
ですから決断者を選ぶという事は非常に大切です。それは会社のみならずスポーツ、NPO、教会、団体などあらゆる集団で言えることです。
このようなことを皆さんで考えていただきたく思います。
それではこれから会議を始めます。
どのようなルールを決めたらよいでしょうか。
メンバーは民間人と官界の人たちです。
国は、アメリカ、ドイツ、日本、ロシア、中国、フランス、イタリアです。
それぞれテリトリーの主張がぶつかり合っています。
司法、立法、行政が各国に存在しています。
政府の思考がモノや資金になっていくと価値観が見えやすくなるので反対意見が出やすくなってきます。
一方で抽象的な感情を価値の中心に置き、親が子を抱きしめるようにすると、大国は折れているようですが、その後で自分の我を通すようになるのです。
世の中は本当に複雑になってきました。
スパンが短くなってきました。
判断基準が小さくなってきた分、多様性が出てきました。
以上をまとめてみましょう。
私たちが求めているLeadership は、人を引きつける魅力があり、人がついてくるInfluencerでなければなりません。
このInfluencerとしての資質の根底にあるものはその人の器です。
器とは、誰からも受容され、愛されることです。
経営をされている人ならばわかると思いますが、この愛される人とは信用がある人です。
資本主義世界の中で日本人はお金だけでなく心のゆとりを求めているのです。これが表面だけの場合も多くあります。何しろ基準がないのです。その基準を満たさないと物質的な満足感と価値観を得ることができないのですが…。
物質的ではなく、精神的な心のゆとりに価値を求めるということは、物質的価値を認めなくなってきているという飽和状態を表しています。
では我々は何の目的のために働いているのでしょう。
自分という存在は何のためにあるのでしょうか。
世界の状況を見るかぎり、昔だったらとっくに冷戦時代に入っていると思われるような事態があちこちで起きています。
政治や経済だけでなく文化までが混沌とした坩堝に引き入れられているのです。
アメリカが弱くなり、ドイツが弱くなり、イギリスが弱くなり、中国が弱くなり、ロシアが弱くなる。もしそうなったときには日本はどこへ行けばよいのですか。一番強いリーダーになりますか。その時の思考は何を軸にして行動しますか。
日本や世界とは別のところで安穏としている国があるとしたら、それは何を意味するのでしょう。そんなことがあるからこそ皆で協調しなければならないのです。
それが互恵ですね。
それらが起こらないようなコミュニケーション能力をつけないといけないですね。
世界各地で起きていることが、言葉の問題で直ぐには伝わってこないとしたら問題です。グローバル世界でコミュニケーション能力が大切だと叫ばれているのもそのためです。
いつになったら相手の気持ちがわかるようになるのでしょうか。それこそAIの発達が待たれます。
書物で翻訳されなくても目に触れ、匂いで感じ、耳に空気が入るのを感じるだけで世界中の人がコミュニケーションできるような日が来るでしょう。
それらに無頓着でいられるのもコミュニケーションが出来ない文化の中にいるからでしょう。それこそタコツボの中です。
我々が小さな社会の中でそのような環境を作らないようにしましょう。
杉井要一郎 / 2016年3月第4週号 © All rights Reserved by Gledis Inc.
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