6月第1週号  人生全ては自己判断、自分の能力がすべてを決める

#121 Transformational Life Coaching 

学び続けることにより、自分の器を大きくする。芸術家の覚悟ってこんなにすごいものなのだとうならされました。

私がオランダに住んでいたころからの友人で日本人ピアニストが来日されました。半世紀以上をピアノに捧げている方です。若いころの小澤征爾の演奏会ではピアノ弾き、小林研一郎の演奏会では連弾をした方です。現在はQuebec Montrealに住まわれていますが、10年くらい前まではオランダのアムステルダムで船を二艘持ち、周りからうるさいと言われないように船の上で練習をしていました。音大を卒業し、世界的に名前を知られており、セイジ・オザワ 松本フェスティバル」(旧サイトウ・キネン・フェスティバル)にも時々出ていました。
オランダではよく日本人の面倒を見てくださっていました。
今はカナダモントリオールのMcGill大学の音楽主任です。日本での演奏会の帰りに私の会社に寄ってくれたのです。15年ぶりの再会でした。

その時の話がとても有意義な内容でしたので簡単にご紹介させていただきます。


“人生全ては自己判断”
“自分の能力がすべてを決める”


真の音楽家は目的をきちんと持っており、人生を楽しむ人です。
プロは身体が疲れたり、いくら練習しても指が痛くなったりしないものです。それは長年の訓練で指や腕には余計な力を入れないからです。
体が痛くなったり、疲れたりするのは体のどこかに力が入っている証拠で、本当のプロは体に余計な力を入れないので疲れないし、痛くならないのです。

日本の音楽家はもっと海外に出てもまれなければだめです。ほとんどの音楽家は中途半端なのです。
ピアノや楽器でコンクールに優勝したからと言ってその人の演奏が本当にうまいのではなく、そのコンクールにうまく合格するやり方で優勝しただけです。

50歳、60歳位になって本当のGenuine, 天才的Authenticな音楽の深みがわかってくるのですが、日本では若い音楽家が、あるいはコンクールで優勝をした人が好まれます。これはヨーロッパや北米では全く考えられない日本だけの現象です。
コンクールや試験で一番になったということは、全く未知の世界へ初めて旅立つ準備ができただけで、ほとんどがその後鳴かず飛ばずでただの人になる。日本の音楽事情の底の浅さが見えてとても恥ずかしく思っています。
音楽をやる人は何で音楽をやるのかの目的が見えないといけません。

才能には限界があり、その限界を自分で知ることが大切です。
自分で本当にできると思っているときがその人の最盛期でそれからが下り坂になります。

音楽でお金を儲けるのと、音楽が本当にうまいのとは全く別物で、本当に音楽がうまい人はお金の事よりも寝ても覚めても音楽の事しか考えられないのです。

本当に器が大きい人は、学び続けたうえで自分のものを持って居るものです。
これは自分の極みを求めるのみではなく、孔子でも言っているように、「己を修めて以って敬する事より、百姓を安んずることに至るまで、ただこれ実事実学なり」とあるように、自分自身の人格修養に勤めると同時に、世のため人のために尽くすこと、と教えられるように「実学」「美学」としての価値を求めていてそのような人になると段々と器が大きくなってくる、と言う事です。

音楽人口はどんどん減少していますが、これらを芸術家というのならば本当の芸術家はこれからとても厳しくなる。芸術家を、日本でも誰かが雇うか、昔の大賀さんのように軽井沢にホールを作るとか、企業がスポンサーにでもなってもらわなければ海外、特にヨーロッパのように政府から個人にお金を出してもらわないとやっていけない。又、次々と若い優秀な人が出てくるので彼ら彼女らは日本に居ては育ちません。
そのためにはまず英語だけでも話せなければならない問題もあります。

これらの話を聞いて、この方は本当の音楽家だと思った。コーチングでもほとんどのコーチはお金を儲けることを優先し、本当のコーチングを学び、実践をしている人は少ないです。コーチングの目的が自分の叡智を究極まで駆使して上を目指すのか、自分への挑戦なのか、あるいはプロとしてクライアントのTransformation を実現させるのか、ちょっと勉強しただけではエグゼクティブへ本当のコーチングはできません。

挑戦あるいは勉強をして本当のコーチングを目指している人は余りお金を儲けていません。悪いとか良いとかではなく、何のために音楽をやっているのかを芸術家が生涯にわたって貫くようにするのとまったく同様に何のためにコーチングをやっているのかを明確にして、その目的が自分の人生に合っている場合が本物のコーチになるのです。

最初に書いた、自己判断が出来ること、今の自分の立場をわきまえていることがコーチにとって一番きつい言葉です。人には自分を認識するようにと言っているにもかかわらず、自分のことをほとんど知らないし、今後のビジョンも語ることが出来ないコーチが多いのです。これはコーチングに限ったことではありません。

自分の能力、それも自分がやっていることに責任が取れるかどうかを自分で認識できなければなりません。それがなければコーチングは手段にすぎず、目的は別のところにあるのです。別の目的でコーチングをやっているのであって、人生をどう生きるかどうかの自己判断になるのです。

そのためにものすごく勉強をして自分の殻を破り、自己判断が出来るための訓練とそれにも増さる努力が必要です。

ものすごいコーチが現れたとしましょう。それは本物とは関係ないのです。たまたま一部の人からすごいと言われているだけであって、何がすごいのか、誰がすごいと言っているのか。

グローバル企業においては人材エージェントが世界の中から一番良い人を探そうとしています。これからはもっとそうなるでしょう。

しかし、世界で一番上手な人、その仕事に適したリーダーを探すことは全くの無駄で、何が上手なのかはリーダーのほんの一部分でしかありません。

自分をよく知っており、その人の生き方を尊重し守ることがその人を一番上手に使う方法です。他人(会社)の目的のために人を雇うのは本人にとっては関係のないことなのです。その人の人生の大切さをわからないとだめです。

杉井要一郎 / 2016年6月第1週号 © All rights Reserved by Gledis Inc.

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